Hoover 2016 4 9

 フーバー大統領(1929-1933)は、
「FREEDOM BETRAYED」という本の中で、
こう述べています。
 日本は繰り返し、和平を求める意向を示していた。
それにもかかわらず行った原爆投下は、
アメリカの歴史において、
未曽有の残虐行為だった。
これは、アメリカ人の良心を永遠に責め苛むものである。
Not only had Japan repeatedly suing for peace but it
was the act of unparalleled brutality in all American
history. It will forever weigh heavily on American con-
science.(p.882)

FREEDOM BETRAYED

Herbert Hoover's Secret History
of the Second World War
and Its Aftermath

Edited with an Introduction by
George H. Nash

FREEDOM BETRAYED 2016 4 3

"I said that the whole Japanese war was a madman's desire to get into war.
He(MacArthur) agreed."

書名 日米戦争を起こしたのは誰か
著者 加瀬 英明  藤井 厳喜  稲村 公望  茂木 弘道  勉誠出版

 もう数十年前の話になりますが、
私は、大学生の頃、アメリカの政治に興味を持って、
夏休みなどの長期休暇を利用して、
図書館にこもって、片っ端から、アメリカに関する本を読んだのです。
 そこで、不思議に思ったことは、
フーバー大統領をけなして、
ルーズベルト大統領を称賛するという論調が多いことに気づきました。
そこに、「意図的なもの」や「作為的なもの」があると感じました。
 私は、その背景や原因を探ろうと思いましたが、
残念ながら、時間切れで、学部の授業が始まってしまいました。
 さて、著者によれば、
この本は、アメリカ大統領のハーバート・フーバーの大著である、
「裏切られた自由」("FREEDOM BETRAYED")のエッセンスを日本人に伝えるものです。
 「FREEDOM BETRAYED」は、なぜか日本語に訳されてなく、
また900ページを超える大著なので、一般の日本人には近づきにくいものとなっています。
 しかし、日本人の歴史観に大きな衝撃を与えるものであり、
第二次世界大戦について論ずる全ての人の必読の書であるという。
 それでは、フーバーが明かす衝撃の真実を、
「FREEDOM BETRAYED」から引用しましょう。
 (1941年7月の経済制裁は)日本に対する宣戦布告なき戦争であった。
 アメリカを戦争へ誘導していったのは、
他ならぬルーズベルト(大統領)その人であった。
 「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」と、
私(フーバー)が言うと、マッカーサーは同意した。
 私(フーバー)は、更に続けて、次のように言った。
「1941年7月の(日本への)経済制裁は、単に挑発的であったばかりではない。
 それは、たとえ自殺行為であるとわかっていても、
日本に戦争を余儀なくさせるものであった。
 なぜならば、この経済制裁は、
殺人と破壊を除く、
あらゆる戦争の悲惨さを(日本に)強制するものであり、
誇りのある国なら、とても忍耐できるものではないからだ」
 この私の発言にも、マッカーサーは同意した。
 (1941年9月の)近衛の和平提案は、
駐日アメリカ大使もイギリス大使も、
祈るような気持ちで実現を期待していた。
(にもかかわらず、ルーズベルトは拒否した)
(引用、以上)

二人のルーズヴェルト 2014 8 10

今日も、江崎道朗氏の著書から、興味深いところを紹介しましょう。

 アメリカは、この100年、二つの対日政策で揺れてきた。
一つは、「大陸国家(ロシアや中国)の膨張政策の防波堤として、
日本を活用すべきだ」というものだ。
 日露戦争の時、セオドア・ルーズヴェルト大統領が、
この「ストロング・ジャパン(強い日本)」政策を採用した。
 もう一つは、「強い日本は、アジアの脅威であるばかりでなく、
アメリカの権益を損なう存在だ」というもので、
日中戦争の時、フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、
この「ウィーク・ジャパン(弱い日本)」政策を採用した。
(引用、以上)
 こうした二つの対日政策とベノナ文書を見ると、
実に興味深いものがあります。
「べノナ」文書(米軍諜報部が解読した旧ソ連情報部の秘密文書)
(以下は、ウィキペディアから引用)
 1995年、ベノナ(ソ連暗号解読プロジェクト)が機密扱いをはずされ、
ソ連の暗号通信の内容が明らかになった結果、
ソ連のスパイ行為は、マッカーシーの見積もりよりも、
さらに大規模なものだったことが判明している。
 ベノナは、特にソヴィエトのスパイに色々な方法で協力した、
合衆国の市民、移民、そして永住者を含む少なくとも349人の人々について言及している。
 マッカーシーは、ベノナ秘密情報への接触はなく、
彼の情報は他の情報源からだと信じられている(FBIのフーヴァー長官からだという)。
 ベノナは、マッカーシーにより調査された、
ある人物達が、事実、ソ連のスパイであることを明らかにしている。
 たとえば、メリー・ジェイン・キーニーは、
マッカーシーにより単に「共産主義者」とされているが、
実際には、彼女も、その夫もソ連のスパイだった。
 マッカーシーにより名指しを受けたロークリン・カーリーは、
ルーズヴェルト大統領の特別顧問だったが、
ベノナによりソ連のスパイであることが確かめられた。
(引用、以上)
 マッカーシー(1908〜1957)は共和党の上院議員で、
1950年に国務省に潜む共産党員の名簿を入手したと発言し、
一躍、世界の注目を浴び、
彼の反共産主義運動は「マッカーシズム」と呼ばれました。
(参考文献 ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」)




































































































スマートフォンのトップページへ